高槻富田団地「移動店舗」:たこ焼き屋
いやないよ。そりゃ。
生まれてすぐは違うらしいのだけど、
その後結構すぐに高槻の団地に引っ越して、
小学校低学年が終わるまでそこに住んでいました。
まぁ、団地なので、商店街というか。。。
商店が集まっている一角がいくつかあるわけですが。
その中でも大きなとこに「オアシス」があって、
(ブルーチップはまだあるのかな?)
(今は「阪急オアシス」なのかな?)
(その頃から阪急オアシスだったのかもしれない)
毎日ではないけど、その裏にバンで移動たこ焼き屋のあんちゃんが来てました。
全然、ふわとろでもなく、
今どきのデカイたこ焼きでもなく。
むしろ小さかったような気もするし、
だからカリカリだった気もする。
あんちゃんがイケメンだったのか、
だいたい結構売れていたような。。。
ちなみに、大阪の家庭には必ずたこ焼き器がある。
という噂?は結構事実で。
今どきは知りませんけど。
その頃はその団地のすべての家庭にたこ焼き器はあったのでは?
と思われる程度に、もはや炊飯器と同じレベルで存在してました。
にもかかわらず、買いに行くんだから、なんかあったんだろうなぁ。
ちっちゃいたこ焼きが16個とか?
いや記憶が確かではないんだけど。
で船に乗っけてもらってかな?お祭りのときのようなプラ容器かな?
外側は薄緑色の紙で包んで、輪ゴムドメ。
ああいうのはもう食えないんだろうなぁとちょっと寂しくは思いますね。
オアシスの向こうにプラモ屋があって、
ガンプラ買いに行って、買えなかったり。(そんなの普通でした)
別の新しくできたプラモ屋で万引して滅茶苦茶怒られたり。(当たり前だ)
まぁ、そんな色々な記憶があります。
たまに行くんですけどね。大阪に行ったときについでに。
団地って、その時の「はやり」に合わせたりするので、
新しい人達は新しい団地に行ってしまうので
だんだん団地が年取るのとともに
住んでいるヒトたちの年齢層も上がっていっちゃうというか。
で、お店がどんどん減っていったり。
活気はなくなっていっちゃうかな。。。
でも行くと、あーーーーー、って思いますね。
通ってた小学校は、複数ある校門すべてに監視カメラが大量に設置されていて
なんかあったんかいな?みたいに思っちゃいますけど。
(もちろん部外者は入れません)
その後引っ越した先の豊中の方の小学校は、
教員室に言ったら(その時点でもう入れている)
好きなだけ校内を歩き回れましたけど。
色々あったのかもしれません。
高槻のその小学校は給食がその学校の中で調理されていて、
調理場が校門から入ったすぐのところで、
よく消毒液がまかれていて、その臭いが嫌いだったなぁ。なんてことも思い出してみたり。
(今は給食センター対応のようです)
昔住んでいた場所に行くのはなかなか愉しいものです。
色々変わりすぎていて寂寞感もキツイですけど。
0コメント