(編集中)(走り書き)欲を分解する。

別に欲に打ち克つとか、我慢するとか、そういうことではなくて。


欲求にはあるがままの自分で向き合えばいいと思うのだけど。


世の中のほぼすべてのことは自分の知識の外だし、

知らないがゆえに理解はできないけれども、

ならば自分の欲求は自分の内部なんだからある程度は理解しておいたらいいかな、と。


ラーメンが好きで、

ラーメン食べたい。

という欲求はあるのだけど、意外とラーメン食わない。

食わない理由としては、外食が苦手だということがある。

他には、別のものでそれなりにごまかせてしまうということがある。


この「ラーメン食べたい」というのは、

いわゆる三大欲求と言われるものの中の

「食欲」だと思うのだけど、

本当に「食欲」なのかな?と思ったりする。


三大欲求と親しいもので、本能ってヤツがあったりするわけだけど。

言葉でいえば「本能」というのは現代の人間にはほぼないとされる

もしくは専門的な学術における文章としては、

曖昧な概念となるので使用を避けるようになった言葉である。


まぁ、それはともかく。

「ラーメン食べたい」という「食欲」らしき欲求は

「根本が食欲という種類の欲求」なのだろうか?


1.空腹だから「ラーメン食べたい」

2.しょっぱいものが食べたいから「ラーメン食べたい」

3.塩と油と炭水化物の食べ物が食べたいから「ラーメン食べたい」


1.ならば、ラーメンである必要はないわけで、おにぎりでも欲求は満たされるはず。

2.ならば、なんなら食塩を舐めれば代替となるはず。

3.ならば、惣菜パン、揚げカレーパンでもいいはず。


ならば1.は「食欲」といえるかもしれない。

2.は塩分を取得することで口寂しさを紛らわせたいのかもしれない。

これはそもそもどんな欲だ?

3.は塩分と脂肪分と炭水化物(だっけな?)を同時に摂ると

脳が快感を励起させる物質を分泌する、なんてハナシがあった気がする。

ならば、これは快感を得たいがためなので「食欲じゃない」んじゃないか?


1.の際に「ラーメンでなくてもなんでもいいから食べたい」

ならば純粋に近い「食欲」だと思うのだけど

ラーメン「が」食べたい。

と食べるものをラーメンに限定する場合、

食欲の他のなんらかの欲があるということになる。


ここの論点(なんて大したものではないが)は

「食欲」を否定するのではなく、

三大欲求は欲求の素因数ではないのではないか

というところであったりする。


それを特に感じるのが「性欲」だったりするんだが。

まぁ、男性としての自分の「性欲」っていうのは

「愛欲」と「肉欲」という言葉のだいたい2つの要素に分けられると思っていて。


そもそも、「性欲」ってなんだよ?って思う。


宗教って文化(商文化でもあると思うけど)が生まれて

しばらくして宗教における戒律の中に「性欲を抑えろ」的な文章が

まぁまぁ当然のように盛り込まれるわけで。


一つには、宗教が男性向けのものだったということがあるかな、と。

基本的に男尊女卑の世界だったころ、

女性を信者として獲得しても儲からない、世の中に対して権力を示せない、

というのがあったのか、

女性は汚らわしいもの、という現代では笑えない価値観、

まぁ、月経やら出産で血を出していたから、という

わからないものは怖いもの、わからないものは汚らわしいもの、

というありふれた、わからないということを恥じるのではなく、

恥じたくないから、わからないものは劣っている、汚らわしいとする、

現代にもまだ残ってしまっている、考えることを止める短絡的な解決方法

で、くだらないながらも、誰もが陥る罠にハマっていたといえるので、

その当時の思考としては理解せざるを得ないかもしれないものではある。


あとはその「汚らわしい」女性に対して

優れている、神に最も近いはずの男性が惑わされる、

ということで、汚らわしいものに近づく=堕落する

という流れで神性を堕落させる女性に近づくな、

すなわち性欲を抑えろ、というながれなのか、と。


こんなのはいくらでも考えられるので、ここまでとするけど。


数千年かけて人間は性欲を排除しようとしてきて、

「性に関わるものは汚らわしい」という常識に囚われ続けている

となんとも情けない現在があるわけだけど。


そもそも「性欲」ってなんだ?と。


現代ではオナニーもなんなら汚らわしいとされる。

オナニーが汚らわしいからそれに関わる性的なものが汚らわしいとされるのか

性的なものが汚らわしいからそれを利用したオナニーが汚らわしいのか。


そこは何やら混然としている。


ヒトが本能に従う動物をは一線を画す生物であり、

そのために本能を否定し、それによる欲求を否定するのであれば、

オナニーって生殖に一切関わらないので、

男性においてはオナニー中の快楽と射精による快楽を得るだけの行為でしかないわけで。


まぁ、快楽を追求しちゃいかん、ってのも宗教の戒律だったりするけれども。


相手がいる性行為、まぁいわゆるセックスは、

子をなす行為として、生殖行動であり、宗教的にどうなの?ってなると

そこで快楽を得てはいけないので、女性に麻袋をかぶせて、なんてのが

12月25日の真冬に馬小屋で生まれたとされるヒトを崇める宗教の一部では

あったりするので快楽を追求しちゃいかんのか、得てはならんのか、ともいえる。


生殖行動は構わんけど、そこで快楽を得てはいかんよ、と。


現代は複雑だなぁ、と思うのは、

セックスは基本的に避妊しなさいよ、というけれども、

避妊して行うセックスは快楽の追求であるわけで、

なにを禁じて、なにを見逃すのかわからなくなっている。


もちろん、避妊して行うセックスは生殖行為じゃないので

避妊行為自体禁止!という宗教もあるけれども。


まぁ、それはともかく。このへんで一旦止めて。

では、性欲とはなんぞや?


オナニーをしたいと思うのは性欲か?

好ましく思う特定の相手を限定せずセックスをしたいと思うのは性欲か?

好ましい特定の相手とセックスをしたいと思うのは私欲か?

特定の相手を限定せず避妊せずセックスをし膣内射精をしたいと思うのは性欲か?

好ましい特定の相手を大事に思うから避妊してセックスをしたいと思うのは性欲か?


と色々な「性欲」とされるものを羅列していくと

「性欲」は素因数ではなく、さらに分解できるものなのではないか、と思えてくる。


快楽を得たいと思う欲求

愛情を確認したいと思う欲求

(自己)承認欲求

支配欲

生殖欲

所有欲

他にもいくつもの「欲」に分けられるし

そこで挙げられる欲もさらに分解できるかもしれない。


ここで欲の素因数を求めるのが目的ではなく

欲を因数分解してみよう、というのが最近ちょっと気にしている部分である。


だらだらと性欲について述べたが。

例えば、ある商品がほしいとする。


それは単純に所有欲なのか、

その商品を手に入れて知りたいことがある知識欲なのか、

その商品を手に入れてしたいことがある行動欲なのか、

その商品を購入することで金銭を消費する消費欲なのか、

自分のその欲はどのような欲に分解できて

では、代替行動で満たされる可能性があるのか、

どの程度の代替が効くのか、

ということを気にしたりする。


欲求をいくつかの欲に分解して、

それぞれの欲の大きさを測定して、

再構築して、

代替が効くかどうかを検討する。


もしくは、その欲は満たすことが自分にとって必要かどうか、

というのを検討する。


そんなのを飛び越えて、欲しい!という結論に至ることも少なくはないけれども。


代替が効くから、じゃあ他のものでいいか、ではないし。

好きなものは好きなんじゃ!!ってなることも少なくはないし。


ただ単に、自分の行動を把握したいというだけのことなのだけど。

把握したからといって、何らかの制限をかけるものではなく。

ジャズの定番曲から学ぶ音楽理論らしきもの

「JAZZ STANDARD BIBLE」掲載曲を用いた ギター教室で習ったことをまとめていくブログです。 機材などなどの投稿も予定していますが、 音楽理論的な投稿は基本ギター教室で習ったあとにその内容を投稿しますので、 一週間に一度程度の更新予定です。 (初期は基本理論の部分で頻度は少し増えるかもしれません)

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