梅田「北斗」:札幌ラーメン
とっくに閉店。
うめちか三番街にあって、
子供(ガキ)の頃、親に梅田に連れて行ってもらうと、
「王様のアイディア」を覗いて、手品グッズを買ってもらって
「北斗」に行って、味噌バターコーンラーメンを食うというのが定番だった気がする。
小学生も低学年だったと思う。
梅田の地下街なんて、もう今は迷宮も迷宮。
しかも、うめちか三番街って改装だかなんだかで、
噴水みたいなんもしばらく前にバラしたってニュース見たし。
いまや、大阪行って、梅田の地下街歩こうものなら、
5分もすると、前後左右どこへ向かえばいいのか、
コッチかと思ったらだいたい間違っているという大迷宮。
横浜駅が拡張されていって千葉から箱根までぐらいに広がっているという
SF小説がコミカライズされてたりしたけど。
そんな広くなくていい。
梅田の地下は既に迷宮。
というか、うめちか三番街って、
多分、一番街とか二番街なくって、そういうのすっ飛ばして、
いきなり三番街だったんじゃないのかな?
いま三十四番街とかあるけど、
アレも多分途中の番号はないんだと思う。
ついこないだまで、JRの駅からすぐ目の前に見えるヨドバシに
地上からはカンタンにはたどり着かせねぇぜ!!
という気合の入った迷宮だったんで。
地下からは意外と簡単に行けるのだけど。
今は陸橋がつながったらしいのだけど。
まぁ、子供の舌には、味噌でバターでコーンでラーメン。
美味かったけど、今食ったらどうなんかなとは思わなくはない。
カロリーがなかなかすごかったんじゃないかなぁ。
塩分糖分脂肪分。
えんぶんとうぶんしぼうぶん。
なんかゴロいいな。
普通の中華そばとかは食ってたんじゃないかと思うんだけど、
味噌バターコーンラーメンは特別な食いもんだった。
札幌ラーメン?北海道ラーメン?もそんななかったような気もするし。
いやでも小学校低学年のガキの世界なんてさ、
狭いんで、見えてなかったか知らなかっただけかもしれない。
知っていることのすぐ外側しかヒトは「知らないこと」を認知できない。
食いもんとかも、そう。
まったく食ったことのないものは基本的に「美味いと思えない」。
生物の生存本能だよね。
食ったことがあれば、その近くのものは、
そこから想定できるものは美味いと思える。
いや、全く食ったことがなくてもいきなり美味いと思えるものもあるぜ?
って思うかもしれないけど、意外と無理よ?
近似値がないと駄目。
で、こういうのは結構なんにでも当てはまって。
全く聴いたことのない音楽(ってのはなかなか難しいんだけど)は
音楽として認識できない。
例えばさ。
うーん、例として出していいのかわからないけど。
普通の日本人男性(っていうモデル化が可能かどうか難しいけど)が
ガーナの同年代の黒人女性10名に1時間会って
その後それぞれ個人で区別できるかっていうとちょっと難しいと思う。
男性が女性に合うと少し認識力は上がりそうかな。。。
ガーナの男性だとどうだろう?
ひとりふたりは名前と顔を覚えられても、
残りは誰が誰だか。。。ってなると思う。
慣れてないから。
まぁ、興味がない、ってこともあったりするけど。
だからね。
知っていること、を増やさないといけないと思うんだよね。
知っていることによって、知らないことを認識できるから。
知っていることが増えると、知らないということがわかっていることが増える。
知らないの向こうは、それがあることすらわからない。
だから、色んな経験をして色んなことを学んで、
知っているの範囲は増やしておいたほうがいい。若いうちに。
歳食うとその体力とか、気力とかキツイんで。
オレは一応、ヒトの親になったことはないことになってるけど、
親の役割ってのはそのあたりじゃねぇのかな?と思ったりはする。
子供に色んなことを経験させて、知っていることをできるだけ増やす。
あとは勝手に本人がその知っているの外側の知らないに進んでいけばいい。
自らの興味に忠実に。
オレは、母親が結構食うことが好きなおかげで、
色んなものを食わせてもらったおかげで、色々愉しめているなぁ。と思う。
でも、いまは外食メッチャクチャ苦手だけどね。
外食行くなら、家でコンビニのおにぎり、
しかもシーチキン、紀州梅の2つ食ってるほうがいい。
一人きりで食う外食はちょっとわびしすぎるのかもしれない。
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